日々の雑感

私が毎日見たり聞いたりしたものに対して思ったことを書き連ねていきます。

【書評】「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」 公正な世界を求めていく上で避けては通れないこと

みなさん、こんにちは。

突然ですが、林檎と梨、どちらがより人気か、そろそろ決着つけませんか。

甘いから林檎の方が好き?シャキシャキしてるから梨の方が好き?人それぞれ好みの理由はあると思いますが、そんなもんは聞いてないんです。

数です。数を聞いているんです。

 

「社会制度は天や自然から与えられるものではなく、人間が作るものだ」と述べたのは18世紀に活躍したフランスの思想家ルソーである。彼は国家のあり方について多くの持論を展開した。
その中でも特に有名なのが「社会契約論」に記された人民主権であろう。彼は国民は他人との関係において互いに平等な社会契約を結ぶことによって一つの社会を構成しており、その様々な人間の集合体が一つの人民であるとした。そして個々の利益とは離れた人民全体の利益について熟慮しどのような行動をとるべきかを決定するのが一般意志であると考えた。よって政治の決定が最も一般意志に近づくのが直接民主制であり、少数派がその決定に従わなければならないのも多数派が勝利したからではなく自分が誤った一般意志を想定していたからである。
ここには理論上の民主制の理想形が掲げられており、未だかつてこの理想を実現した社会はない。

ところで、私たちが現行の社会制度に対し疑問を呈したときによく返される言葉がある。「法律で決まったことだから」「選挙で決まったことだから」「多数決できめたから」「民意だから」などがそれだ。
しかし、本当にそれは返す言葉として正しいのだろうか。つまり、本当に実質的な民主制が担保されたものなのだろうか。

 

 

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』 著:坂井豊貴 (岩波新書)

 

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

 

「社会的選択理論」という社会科学の学問分野がある。社会が意思決定を行うときにどのような選択方法を取ればよいのかを探求していく学問で、多くは投票ルールを考えるものである。非常に数理的な分野であり、詳しく理解するには高度な数学的素養が必要となる。
本書はそういった社会的選択理論の入門といえる内容であり、数理的な説明をできるだけ排除した理論の概説と具体例から始まり、途中民主政治の根本に立ち返りつつ現代日本に存在する諸問題へと発展していく。
様々な投票方式が紹介されているが、本書で特に扱われているのはボルダルールとコンドルセ・ヤングの最尤法の二つである。ボルダとコンドルセは両者とも18世紀フランスの数学者である。長くなるので、詳細は本書を読むなりキーワードで調べるなりで各自理解してほしい。

 

私見

「多数決で決めようぜ」という言葉は私たちが議論に行き詰ったことによく発せられる。いわば個人的な範囲では絶対的な信頼性を持った集団の行動決定手法である。
それを疑おうとはなんと恐れ多い、と思う方も多いだろう。私自身もそういった印象から本書を手に取った。
するとそこには、私が今まで考えてこなかった広い思考の平原が広がっていた。
ペア敗者という考え方は多数決の欠陥を理解するのに大変役に立ったし、複数の候補の中で順位が決まらないサイクルの概念とそれを打破してゆくプロセスは大変興味深かった。
また日本は行政法の整備が未熟であるとよく言われているが、それをこうも理論的に説明されていくと最早笑うしかない。
ただもちろん多数決を完全に否定するのではなく、種々の事情を勘案したうえでその場ではどれが最もふさわしいかを選んでいくというのが基本スタンスだ。
しかし、著者は現行の規定では国民の一般意志が正しく反映されないと考えている。形式的な民主制が日本社会に確立しているためにそれが本当に民意を反映していないときに反対の声を上げる人間が非民主的な人間だといわれてしまう。そういった事態も起こりうるというのだ。

個人的に最も面白かったのは、憲法改正についてである。現行憲法では憲法改正の発議には衆参両議院で三分の二以上の賛成を得たうえで国民投票過半数の賛成を獲得しなければならない。
社会的選択理論には64パーセント多数決ルールというのがあり、64パーセントの賛成を得れば殆ど満場一致に近いというものだ。それを考えると三分の二を求める改正手続きは妥当なように思える。
ところが、そうではなく、現行の規定では緩すぎるというのだ。

その理由は、ここで書いてもいいけれども、やはり是非自分の目で確かめてほしい。