日々の雑感

私が毎日見たり聞いたりしたものに対して思ったことを書き連ねていきます。

どうせ着ないUTを買うという娯楽

こっぴどく振られてしまった。

張記でニューローメンを食べていた時のことだった。

 

金曜日、仕事帰りに集合してリコリスピザを見に行った。

 

見終わった後、「ゲイリーなにやってんだよ」なんて感想を言い合いながらまだ人の残る総武線に乗り込み、隣同士ストレンジャーシングスシーズン4の熱烈な推しを受けているうちに西荻窪の駅に帰ってきた。

お互い西荻がホームグラウンドだ。

夕食を食べずに出てきたので空腹だった。元々、相手が仕事を残してきているので早めに家に帰ると言っていたが、当然の流れとして少し食べていくことになった。

沖縄そばが食べたい」との発案だったが、店の中を覗くとあいにくの満席だった。星の浜食堂はいつも繁盛している。

 

それで張記へ行った。ネオンサインが輝く「映える」台湾料理店の張記は、西荻内外から老若男女が訪れる。その日も結構な人が入っていた。

奥の席に案内された。業務用冷蔵庫の目の前だ。

いつもはルーローハンとレモンビールを注文するのだが、相手がルーローハンを頼んだので何か冒険してみようと思ってニューローメンとライチビールにした。(あんまり変わらないね)。

乾杯を済ませ、互いに料理をシェアしながら箸を進める。左利きで少し独特な箸の持ち方をする彼女と、仕事の愚痴なんかを言い合って笑った。言い残っていた映画の感想も全て言い尽くした。HAIMの家族全員集合だったね、とか。

微妙に気まずい時間が流れる。

実をいうと、告白自体は先週していた。その時に答えを曖昧にされたままの今週だったので、映画の誘いがあった時は悲喜交々様々な想いが巡った。

 

「やっぱり今は恋愛をする気分になれない」と、意を決したように彼女が口を開いた。

彼女のTシャツに描かれた東南アジア風の女性の笑顔とは対照的に、申し訳なさそうな顔をしている。

覚悟はしていた。趣味が合うとは思うが、この関係が発展するようには思えなかった。

でも、人並みに悲しかった。プレタポルテの悲しみだ。

こういう時に気の利いた一言を言えればいいのだが、私の凡な脳みそはその時なんの文章も出力してくれなかった。

その場に漂う嫌な空気を全て平らげてしまおうというように、ただ口を開け閉めしていた。だけど、より空気は重くなっていくばかりだ。

一緒に西友ハーゲンダッツを買って別れた。

残った私の手にはヘブンリーキャラメルのハーゲンダッツとTOHOシネマズ系列の割引券があった。お詫びに、ということで渡してくれた。これはまたのちの機会にありがたく使わせていただく。

 

0時過ぎ、家についた。ドアを閉めるとレイジーサンデーモーニングの残り香が鼻腔をくすぐる。

胸の上の辺りを握りつぶされているような感覚だ。しばらく忘れていた懐かしい感覚。

異様に触感の軽い指でLINEを送った。「楽しかった、また遊ぼう」と、何事もなかったかのような文面だ。このあたりに私のモテなさ/キショさが表れているように思う。

結局シャワーも浴びずに眠りについた。

 

土曜日、朝6時半に起床した。

一緒に買ったフレッドペリーの一張羅を着替え、シャワーを浴びてリフレッシュした。心なしか抜け毛の量が多い気がした。

昨日冷凍庫に突っ込んだアイスを食べながら、FireTVStickで金曜日更新のオモコロチャンネルを見た。内容はあまり覚えていない。

失敗の「花束」みたいだな、と思った。あれも結局失敗に終わるけど、もっとだいぶ前の段階での失敗だな、と思った。気持ちが軽いうちに終わってよかったかもしれない、なんてまだ冗談でも思えないけど。

失恋した時は恋愛ソングを聞いたほうが良いと友達に聞いたので横沢俊一郎の歌を聞いてふにゃふにゃの男の子の気持ちを思い出したりなどした。

残していた仕事は結局起きてから取り掛かって11時過ぎまでかかったらしい。申し訳ないことをした。

 

ひどく落ち込んで部屋にこもっていようかと思ったが、生理現象には勝てず、お腹が空いてきた。

不快な暑さが続いているが、お昼を食べるため吉祥寺まで歩いて行くことにした。

ちょうど出掛けに「愛してみたり愛されたり」が流れた。さっきまで聞いていた部分の続きだ。

「秋が終わるころにあのこと恋人になれたらきっと冷え切った指に嚙みついて痛がるぼくに笑顔をみせるのだろう」

なんて素敵な光景だろう、と自嘲気味に笑う。

体を動かしても特に気持ちが軽くなることはない。むかつくくらい晴れている。明日から雨の予報だというのに、全くそれを感じさせない。

 

適当にお昼を済ませた。それでもまだ日が落ちるまで時間はたっぷりある。

いつものようにパルコの前でアップリンクの上映スケジュールをのぞいてみた。ホンサンスの映画がやっていて気を引いたが、労働問題が解決するまではできる限りアップリンクじゃないところで見ようと思う。

ユニクロが目に入った。そういえば夏服が足りない。

 

1階からエスカレーターで上がっていく。レディースのフロアを抜け、メンズ服のエリアへ着いた。クルーネックTシャツがセールで1299円になっていた。円安の時代に結構なことだが、これもどこかの民族をしごき上げて成り立たせた経済性か?と疑問がわいてしまう。

1着手に取って6階へ上がる。

吉祥寺の様々な有名店とのコラボTシャツが置いてあった。こんなのあるんだ、と感心して進むと、UTを置いてある一角に来た。ユニクロのコラボTシャツだ。

今は永井博とのコラボをしているみたいだ。グラフィティが胸にでかでかとプリントされたものが並んでいる。

毎回思うのだが、このプリントってあんまりナイスなデザインには見えない。

試着してみても、まあこうなるだろうという感じだ。

 

結局2着お買い上げだ。

MoMAポケモンバスキア、ピーナッツ、ブルーノート、etc,,,クローゼットに眠っている数々のUTを思い返して逡巡したが、レジを通していた。

永井博も同じように箪笥の肥やしになるだろう。

これは着るために服を買うというより、買ったという記憶をストックする娯楽のようなものだと思う。ある種擬似的にアート作品を所持しているような感覚になる気もする。

とにかく、私の記憶のカレントファイルを何かしらに変更したかった。こんなに薄っぺらい娯楽でもある程度の気晴らしにはなると信じて。

 

家に帰ってもう一度着てみた。全身鏡に映し出された私の胸には爽やかで記号化された夏のモチーフが輝いている。

寒々しさが中々似合っているように感じた。

「アルプススタンドのはしの方」を見てきた。輝けない高校生の青春とは果たしてこれか。

今回見てきた「アルプススタンドのはしの方」は兵庫県東須磨高校演劇部が制作した戯曲を原作とした映画。

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映画『アルプススタンドのはしの方』公式サイト

舞台は甲子園一回戦の応援席、アルプススタンド。絶対的エースに導かれて甲子園出場を果たした公立高校の生徒たちは、全校生徒駆り出されての応援に来ていたのだが、元野球部(画像左)、演劇部2人(画像中央)、成績トップだが友達のいない帰宅部(画像右)の主人公たち4人は、アルプススタンドのはしの方で斜に構えて試合を見ていた。元々そこまで親しくなかった4人は、観戦を通して互いに交流を深め、自分のあり方を見つめ直していく。そのワンシチュエーション映画だ。

 

まず大枠の感想として、挫折を経験して「青春」に本気になれない青春を過ごす高校生の微妙な心情を会話劇を通して見事に表現していて、良かった。
「しょうがない」という台詞に象徴される主人公たちの諦念を否定していくのが作品のテーマで、継続すること、真剣に取り組むことの大切さが説かれていた。
全体として良くできていて、話題になるのもうなずけた。

しかし、しかしである。私にはこれがとてもグロテスクで暴力的な映画に思えてならなかった。
主人公たちと対比されるように、成績優秀容姿端麗でエースの彼女でもある吹奏楽部部長がサイドキックスを伴って出てくるのだが、彼女に「中心には中心の苦労がある」と言わせたり、性格の良い面を強調したり、明らかに彼女が理想の人物として描かれている。それだけならまだしも、主人公の一人である帰宅部の女の子でさえも、エースに恋心を抱いている設定だった。吹奏楽部部長が勉強面で帰宅部の彼女に憧れているような描写も出てきたが、いかんせん薄い。主人公たちに声をかけに来る教師は縁の下の力持ちたれと訓示を垂れる。


全てが、「野球部のエース」という唯一至上の価値を中心に階層化され、そこからはみ出るものは矯正されていく。高校生のリアルな価値観だと言われれば反論できないが、だからこそ私はこれをグロテスクだと思うのだ。

気持ちの悪いオタクの願望だが、せめて帰宅部くらいはヒエラルキーの外で、異なる価値観を持っていてほしかった。考えすぎの捻くれ者の意見だが、一つのロールモデルに巻き取られて行くことの恐怖を描いていてほしかった。

アルプススタンドの一番端っこで寝っ転がり、空ばかりを見て20数年間を生きてきた私は、そう思った。

今日の不安

今日の天気は不安を煽るような青空にくぐもった灰色の雲がかかっていた。こういう日の夕方はすごく好きで、どうにもならなくて歩き出したくなる。終わっていく青春時代に想いを馳せながら、青春時代に聞いたandymoriを聞き返した。小山田壮平は大濠の先輩だと教室に貼られた新聞記事で知ったのが懐かしい。彼らの楽曲も青春の焦燥感を煽るものが多かった。

終わりに向かう作業が進んでいる。僕は何も為せなかった。なせなかった自負がある。後悔もある。あの時こうすればという言葉はまだ飽きない。これからもずうっと付き纏うかもしれない。付き合っていくしかないんだろうか。肯定感なんて感じるわけない。僕の性格はこんなんで、嫌になることも多いけど、嫌になることしかないけどだからって僕は僕が好きで生きていたい。より良い人間になるなんて嘯くのは僕の本心だけど。だけどそれが本当かどうか知らない。知らないままで目を背けて生きてきた。それだって問題なかった。何もやらなくて良かったから。でもそれじゃもう通用しないし、変わらなくちゃいけない。終わりが近づいてそれにしがみつくのは怖いから。やるべきだったことを果たせなかったのは僕が僕を愛しすぎていたから。それを少しでも周りの人間に振りまいていれば何か変わっていたかもしれない。あの時、ああしていれば。

不要不急の街

今日は所用で田町まで出たので久しぶりに秋葉原へ寄って昼食をとった。

久しぶりと言っても1か月ぶり程度なのでそこまで長い間行っていなかったわけではないが、それでも街の様子は一変していた。まず駅を出て初めに目に入るラジオ会館は閉まっていて、めいどりーみんの歌も聞こえてこない。アトレも外壁に幕がかかっていた。人通りも少なく、どこか活気に欠けていた。

そんな中ひときわ目立っていたのが街で客寄せをしているメイドだった。といっても彼女らも通常よりは少なかったが、相変わらずぽつりぽつりと等間隔で立っていて、待ちゆく人に変わらず声をかけている。

初めて秋葉原へ行ったときには大変びくびくしながらその横を通り過ぎた彼女たちが今は少しだけ頼もしく見える。店の方も自粛なんていていたら早晩つぶれてしまうような自転車経営なのだろう。国からは見捨てられそうだが、踏ん張って、頑張れ。不要不急の街。

【書評】「自助論」天は自ら助るものを助く

本日は都立高校入試の前日、国公立大学入試5日前。マスクをして単語帳と睨めっこしている学生をよく見かけます。ただでさえ精神的に辛いのに今年は入試制度改革の直前だったり、コロナウイルスの流行があったり、胸中お察しします。
ただ、いくら泣き言を言おうと受験は質より量。入試では自分がこの3年間どれだけ勉強したかが問われます。どこまでも自助の世界で、他人の助けはきっかけにはなりえても結果を決める最終的な要素足りえません。
その様な競争を経験した生徒は結果がどうあれ、格段に成長すると私は信じています。しかし、勝って兜の緒を締めよという言葉があるように、受験に打ち勝った生徒こそ注意が必要です。人生の目的は学校に入学することではない。なのに、入学の段階で努力をやめてしまう生徒がいる。それでは、よりよい人間となる途は閉ざされてしまいます。


『自助論』
著:サミュエル・スマイルズ 訳:竹内均

 

自助論

自助論

 


1858年にイギリスで刊行された本書は、自助の精神の大切さを説き、世界中でヒットしました。日本史を習ってきた方には、「西国立志編」と呼んだほうが馴染みがあるかもしれません。明治時代に中村正直が翻訳した際のタイトルです。本書は学問ノススメと並んで明治期の青年のバイブルとなり、その後の富国強兵の精神的支柱として長らく用いられてきました。

本書は、社会学の理論を記した本でも、政治学の本でもありません。自己啓発本であり、ビジネス書です。本書では、より良い生き方をするためのヒントが、様々な成功者のエピソードを織り交ぜつつ語られていきます。
19世紀イギリスは世界で初めて近代的な産業社会が成立した場所です。そこで生まれた知恵はパラダイムが完全に変わってしまうまでは有効でしょうし、仮に新たな社会が到来してもあくまで自己研鑽の手法として自助は役に立つでしょう。よって、本書を読む価値は現代においても十分にあると考えます。寧ろ、個人の道義上の社会的責任が軽視されがちな現代日本社会に生きる我々こそ、読むべきものなのかもしれません。
勿論、公助、共助が妥当な行政領域の拡大には留意する必要がありますし、トマピケティ以降のr>gが暴かれた世界で生きている我々には「本当かよ」と思える記述もありますが、そこは自分の頭で整合性をつけて読んでいくことを望みます。そこだけを根拠に本書を否定するのはあまりにも失う価値が大きいです。
特に、ビジネスで成功するための条件として注意力、勤勉、正確さ、手際の良さ、時間厳守、迅速さの6つが挙げられ、加えて一流になるためには素早い直観力と計画を断固やり抜く強い意志が必要であるとする記述は、重要であると感じます。また、著者はビジネスだけでなく学問や文学、音楽、美術においても言及しており、金儲けだけを考えているわけではありません。

 

Test of Time

真実の記述は時を経ても人々に親しまれます。本書もそのひとつです。
流れの速い現代においては、常に流行を追いかけ、他者に負けじとレッドオーシャンに飛び込むことが人生の成功の秘訣であると信じている人が多くいます。私自身まだ何もやり遂げてはいないのでそれを否定するわけではありませんが、流行の最先端にいると思われるとあるビジネスの成功者は、「流行を追わずに古典を読め」と言います。また、世界一の投資家ウォーレンバフェットも既存の市場を好みます。今現在の利益を手にすることはないかもしれませんが、絶対に失敗はせず、最終的には大きな成功を得ることができるというのです。
同じように、自己啓発をする際も、よく分からないコンサルや商社上がりの本を読むくらいなら、test of timeを勝ち抜いてきた「自助論」を100回繰り返して読むほうが良いと私は考えます。

女の子の19歳最強仮説

この記事は100%根拠のない妄想なのだが、女の子が最強なのは19歳の時だと思う。この19歳というのは観念上の19歳であって、必ずしも実際の年齢上の19歳を指すとは限らないということは事前に了解してほしい。

19歳とは何を指すのか

さて、この仮説であるが、まず19歳の定義から入りたい。私が思うに、19歳というのは始まりの年であり、終わりの年でもある。

6-3-3制が取られている現代日本社会では、何事もなければ18歳には高等学校を卒業し大学等に進学、若しくは勉強を継続するか、高等専門学校であれば単に進級するか、就職をするか、そうでなければ非就学、非就業の者として統計の一つになる。いずれにせよ、それまで親の庇護下、強い校則の規制下にあった若者が社会へ解き放たれる。今般の法改正により成人年齢が18歳へと引き下げられたこともこれを後押しする。また、最後のティーンとしてそれまでの人生が試されるのも19歳である。これ以降の年齢になるとより社会にアジャストしていくいわゆる社会人として内的な変化が不可避となる。漸次の変化であるとはいえ、最もピュアにティーンの心を持っていられるのは19歳であろう。

つまり、社会とのつながりの中で物理的な自由を手にした精神的に最も自由な存在が19歳なのである。彼らは成長したが故の物理的・経済的自由を若さゆえの自由で無鉄砲な心で謳歌している。

アンビバレント

上記のような存在を無知で醜悪なものであると考える者もいるかもしれない。しかし、それは少々結果としての行動に注意が行き過ぎている考えである。むしろ私は行動の前提にある精神態度に注目する。時にやりすぎとも思われる行動をとるのは彼らの精神がアンビバレントな観念を抱いているからである。つまり、若さが失われゆくという実感から来る焦燥感と、若さ・無知から来る自己肥大による無敵感の2つである。これらは互いに互いを刺激しあい暴走とも取れるような精神の飛躍を見せる。私はそこに美しさを見出す。古来から矛盾と相克は人間を惹きつける大きな要因であるので少し考えてもらえば私の立場も納得できるはずだ。そして、前提が違えば結果も違うように、私にとって彼らの行動は美しさの発露である。

なぜ「女の子」か

美しさの発露をなぜ女性に限定するのか、述べていきたい。昨今はジェンダー論も社会へ浸透し、当たり前の観念となっているが、やはり男女の間には大きな相違があると考える。(しかしそもそもが適当に考えた論理なのでその手の反論は困っちゃうからやめてほしい)

 女性は美を優先的に享受している。化粧品や香水、服飾といった身体を着飾るものは女性を中心として進化してきた。これは女性は美しくなければならないということを意味しているのではなくて、女性は美に慣れ親しんでいるということを意味する。これも社会の圧力によってそう選択せざるを得なかったということであろうが、しかし事実として女性の方が一般的に美への感性は研ぎ澄まされている。これが私が「女の子」に限定している理由である。もちろんこの限定も排他的なものでなく、選択的なものであるということは承知してほしい。

美しさ=最強

 最後になるが、最強とはどういった意図であるかの説明を行って本稿を締めたい。最強というのは、文字通り最も強いということであるが、この強さの尺度は人を惹きつけるかどうか、かつ人を引き離すかどうかという2か所に置きたい。惹きつけるだけ惹きつけて本人もそれを受け入れるというのであればそれは慈愛であり、母性、親しみやすさにはなるが最強という語の含むどこか硬質な印象にはそぐわない。反対に単に人を引き離すだけというのであれば良くて孤高、普通は孤独、悪ければ孤立であり、これも違う。

美しさは、人を惹きつける。しかし、同時に人を遠ざけもする。「高嶺の花」という言葉で歴史的にもそれは証明されている。したがって、この解釈を取った場合、「最強」と「美しさ」は合致する。

よって、そういった美しさを伴う19歳の女の子は最強なのである。

福岡に帰省したついでに太宰府天満宮へ初詣に行った。そしてラーメンをしこたま食べた。

 

久しぶりの福岡

東京へ出てから早数年、同じく東京に出てきた地元の友達と遊ぶことはあっても、それ以外ではもう故郷のことを思い出すことはめっきり少なくなった。

一言ラーメンといえば豚骨だったのも、最近では近所のラーメン二郎が思い浮かぶ。去年はお盆や正月にも帰れなかった。遊ぶ場所も新宿なんかですっかり方言も抜けてしまった私だが、今年は年末年始空いていたので帰省を決めた。完全には東京に染まりきらないぞ、という福岡人としてのせめてものプライドだった。それか、恋人もいないので家族が恋しくなったのかもしれない。

 

いざ新幹線へ

12月29日、少し用事があったので新横浜から博多まで向かう。所要時間は約5時間だ。痔持ちの私には少々不安な時間だが、そこは我慢するしかない。

出発時刻は19時。到着は24時ごろになる。用事が終わって新横浜に着いたのが16時ごろで、まだ新幹線まで3時間もあった。最近ダイエットをしているので、あんまり遅い時間にご飯を食べたくない。私は新横浜で夕食を取ることにした。

布製の赤いスーツケース片手に新横浜の街を散策していると、一件の中華料理屋が見えた。やはり横浜といえば家系か中華だろう、と考え、そこを候補に入れつつ更に探検を続けた。

1時間ほど経って、粗方見終えたがあまりピンと来るものがない。時間も迫ってるし、スーツケースを引きずって手も疲れてきた。私は先程の中華に入ることにした。

テーブルが縦に5つ並んだ店内には数名の先客がいたが、満席というほどでもない。そのうちの一つに座って、オススメだというネギがいっぱい入ったチャーシュー麺とチャーハンのセットを頼んだ。

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ネギの風味がちょっとだけキツかったが、それでも美味しくいただけた。

腹も満たしたところで時間は18時30分になっていた。案外と余裕がなかったので急いで駅に向かい、新幹線に乗り込んだ。

 

家族との再会

博多まで乗車する客は意外と少なく、新横浜からのものが名古屋、京都、広島と次々降りていく中、私はシートの上で課題の本を読んでいた。小倉に着く、とアナウンスがあった頃、読み疲れた私は顔を上げて周りを見渡した。車両にはほんの数人しか残っておらず、それぞれが疲れた顔で休んでいた。

あと少しで博多だが、ここからが長い。読書をやめてAmazonプライムビデオで相席食堂を見始めたが、2話分も見ることができた。

やっと博多に着いたのが23時54分。事前に家族には連絡しておいたので車で駅まで迎えにきてくれていた。しかし、車が見当たらない。仕方がないので父に電話をかけると、懐かしい方言が聞こえてきた。父のナビゲーションでなんとか車を見つけたが、それは私の知らない車だった。いつの間に買い換えたのだろうか、いやしかしこれじゃ見つかるはずもなかった。

父と兄がいた。父は少し老けた気がする。兄は大学卒業後福岡で就職した。在学中はたまに兄の家に遊びに行っていたので、兄が実家に戻ってからは旅行先のホテルが一個なくなったなぐらいにしか考えていなかったが、いざ会うと嬉しく話が弾んだ。

家に帰り着いた頃にはもう12時を回っていて30日になっていた。母が起きて待っていてくれて、顔を見せるだけ見せた。母は相変わらずだった。座りっぱなしで疲れていたが、お風呂に入り、兄と2人で夕食に作ってあったおでんを食べた。母の料理を食べるのも久しぶりだ。結局寝たのは3時ごろになった。

 

実家へ帰って

翌日は母方の祖父の家に行き餅つきを手伝った。私が生まれるずっと前から祖父の家では年末に杵と臼、それから機械を使って餅をつき、それを千切って丸めるのが習わしだった。私はつく前の餅米で握ったおにぎりが好きだった。

久しぶりに会った祖父は少し痩せていた。もう歳も80近い。ただ、去年ガンを宣告されたという話を聞いていた割には元気にしていた。顔を見て安心した私は、テーブルの上に3つ置いてあったおにぎりのうち1つを手に取り頬張った。ほんのりと塩味が効いて、少し堅めに炊いたモチ米の甘味を引き立てる。

何年かぶりに餅をこねたが、やはり体に染み付いた動作は消えていなかった。

 

晦日太宰府

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西鉄太宰府駅

31日の夜、SASUKEを見ながら私は家族に太宰府天満宮へ初詣に行くことを話していた。太宰府天満宮は福岡のもっとも有名な観光名所の一つで、菅原道真を祀った神社だ。祀っている人が人なだけに、学問の御利益があるということで正月には全国から受験生たち(というよりその親)が集まってくる。

ご多聞に漏れず私も中学、大学受験の時には真剣にお参りさせて頂いた。まあその結果がどうだったのかはここで書くことではないが、私はご利益に関しては懐疑的であった。

しかし、ひとつのイベントとしての太宰府天満宮への初詣は好きで、福岡にいた時はほぼ毎年通っていた。

深夜2時ごろ兄と一緒に家を出た。父と母、妹は来ないらしい。西鉄電車の最寄駅から太宰府行きの電車へ乗ると、深夜だというのにそれなりに乗客がいた。

まだ暗いうちに太宰府へ着いた。人が多い。

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深夜3時ごろの舗道。この両側面に商店が並んでいる

こんなに人いたっけ、と思いながら列に並んだ。寒い。30日に購入した紺色の綿のジャケットを羽織って出て来たが、服装を間違えたかもしれない。2人してガタガタ震えながら待っていると、数十分ほどで境内に到着し、それからまた20数分待って、先頭までついた。太宰府天満宮の賽銭箱は巨大で、そこに巨万の富が毎年ぶち込まれている訳だが、私と兄もそれに倣って二礼二拍手一礼をした。pray for peace

今度はおみくじを引いた。太宰府のおみくじは特製で、朱色の紙に道真の歌が載っている。

私が引いたのは大吉。歌は「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

道真の代表作と言っても過言ではない。にんまりしながら兄の方を見ると、兄は中吉を引いていた。

道真公を祀っといて昇進お守りはどうなんだと買ったお守りを眺めつつ向かったのは、屋台。今回1番楽しみにしていたものだ。極寒の中長時間立っていて体がとても冷えたので「はしまき」という薄いお好み焼きを割りばしに巻いた様な食べ物を選んだ。東京に出てから知ったのだが、これは九州にしかないらしい。

「故郷の味」を食べながら歩道を下っていると、梅ヶ枝餅の店に客が並んでいた。本来博多の人間は列に並ぶのが嫌いなはずだが、最近は変わってきているのだろうか。とにかく、美味しい匂いがして、腹が空いて来てしまった。しかし、並びたくない。そこで私は横道に入り、密かにリピートしているハンバーガー屋「筑紫庵」に行くことにした。期待通り空いていた。ここも道真公にあやかって合格バーガーなんてものを出している。

ここまで来たらラーメンも食べたくなって来て、私は駅近くの「暖慕」へ向かった。オーソドックスな九州豚骨で、一気に福岡に帰って来たという感じがした。

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変わっていくもの、変わらないもの

今回帰省して、福岡は、私の故郷は私を暖かく迎え入れてくれたのだろうか。バーガーやラーメン、うどんは変わらずに私の記憶のままでいてくれたが、街並みも、母校も、吸い込む空気も妙に新しくなっていて、よそよそしかった。たった数年といえど、侮れない。

1番驚いたのは、久しぶりに兄と話し、嬉しいながらも違和感を覚えずにはいられなかったこと。ずっとちゃらんぽらんに生きてきた兄弟だったから、適当な話をしていたのに、働き出して上司の話やお金の話が出てくる様になった。down-to-earthで、良いことなのだろうけど、私はまだ根無し草でいたいと思ってしまう。残り少ない自由な時間を意識するたびにその思いは強くなっていく。

兄も、それを含めた家族も変わってしまった。それに、私も変わってしまった。かつての様には振る舞えない。多分、今後もどんどん変わっていくだろう。だから、合わなくなってしまう。「タタール人の砂漠」 を思い出しながらそんな感慨に浸っていた。

私の記憶の中にあるあの故郷はもう帰ってこないのだろうか、そんなことを考えると胸が締め付けられるようだ。なんの責任も負わず、人生が楽しさだけで構成されていたあの時の、あの街も、あの人々も帰ってはこない。帰省したと言っても、「あの実家」に帰るのでなく、私が去ってからも時を刻み、人間関係を積み重ねてきた知らない実家に行くだけなのだ。そこに私の足跡はなく、家族は先に進んでしまっている。故郷は帰る場所ではないのだ。


MONO NO AWARE - Tokyo [Official Music Video]

しかし、私はそこに残った私の痕跡をなんとか見つけ出そうとしてしまう。道真が歌に詠んだように、梅の花だけは変わらないでくれと願ってしまう。その作用が郷愁なのだろうか。答えは数年後に待ちたい。