日々の雑感

私が毎日見たり聞いたりしたものに対して思ったことを書き連ねていきます。

「アルプススタンドのはしの方」を見てきた。輝けない高校生の青春とは果たしてこれか。

今回見てきた「アルプススタンドのはしの方」は兵庫県東須磨高校演劇部が制作した戯曲を原作とした映画。

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映画『アルプススタンドのはしの方』公式サイト

舞台は甲子園一回戦の応援席、アルプススタンド。絶対的エースに導かれて甲子園出場を果たした公立高校の生徒たちは、全校生徒駆り出されての応援に来ていたのだが、元野球部(画像左)、演劇部2人(画像中央)、成績トップだが友達のいない帰宅部(画像右)の主人公たち4人は、アルプススタンドのはしの方で斜に構えて試合を見ていた。元々そこまで親しくなかった4人は、観戦を通して互いに交流を深め、自分のあり方を見つめ直していく。そのワンシチュエーション映画だ。

 

まず大枠の感想として、挫折を経験して「青春」に本気になれない青春を過ごす高校生の微妙な心情を会話劇を通して見事に表現していて、良かった。
「しょうがない」という台詞に象徴される主人公たちの諦念を否定していくのが作品のテーマで、継続すること、真剣に取り組むことの大切さが説かれていた。
全体として良くできていて、話題になるのもうなずけた。

しかし、しかしである。私にはこれがとてもグロテスクで暴力的な映画に思えてならなかった。
主人公たちと対比されるように、成績優秀容姿端麗でエースの彼女でもある吹奏楽部部長がサイドキックスを伴って出てくるのだが、彼女に「中心には中心の苦労がある」と言わせたり、性格の良い面を強調したり、明らかに彼女が理想の人物として描かれている。それだけならまだしも、主人公の一人である帰宅部の女の子でさえも、エースに恋心を抱いている設定だった。吹奏楽部部長が勉強面で帰宅部の彼女に憧れているような描写も出てきたが、いかんせん薄い。主人公たちに声をかけに来る教師は縁の下の力持ちたれと訓示を垂れる。


全てが、「野球部のエース」という唯一至上の価値を中心に階層化され、そこからはみ出るものは矯正されていく。高校生のリアルな価値観だと言われれば反論できないが、だからこそ私はこれをグロテスクだと思うのだ。

気持ちの悪いオタクの願望だが、せめて帰宅部くらいはヒエラルキーの外で、異なる価値観を持っていてほしかった。考えすぎの捻くれ者の意見だが、一つのロールモデルに巻き取られて行くことの恐怖を描いていてほしかった。

アルプススタンドの一番端っこで寝っ転がり、空ばかりを見て20数年間を生きてきた私は、そう思った。